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伊東でしか味わえぬ、演奏会 《第29回伊豆フィル定演に寄せて》
■医師 松永貞一(東京都葛飾区)
杉谷昭子がベートーヴェンの皇帝を弾くというので伊東まで出かけた。CDは勿論、実演だって東京に居れば幾らでも聞く機会のある曲を、何故、わざわざそんな田舎町まで行くのだ?と、問われれば、普通は、その通りとこたえざるを得ないだろう。しかし、普通では無い人間が弾くとなれば、普通で無い行動をとらざるを得ない。
はっきり言って、杉谷昭子は普通のピアニストではない。彼女の演奏の素晴らしさは、昨年の「レコード芸術」誌9月号の読者投書箱に、「フルヴェン、カザルス、カラス、ショウコ」という題で書いた。彼女の魅力は、天馬空を行くが如き自由闊達さと力強さの中に時に、非常に叙情的なフレーズが煌くところだ。日本、いや世界にあまた居るピアニストの中でもこれだけのピアノを聞かせる人間はそうは居ない。
だが、資本主義の世の中、真実がいつでも幅を利かす訳では無い。芸術の世界でも、音楽産業の波に乗らなければ、どんな名人といえどもオーケストラをバックに皇帝を弾くなんてことは、そうは簡単な話ではないのだろ。杉谷が、どのサイドの音楽家かは知らない。しかし、彼女のソロコンサートはあまた聞いた僕も彼女のコンチェルトを聴いたことは無い。ならば、伊東だろうと地獄だろうと、行くしか無いではないか!
彼女の皇帝は、昨年、平成21年12月13日の第29回伊豆フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会の中で演奏された。それは期待を裏切らない演奏であり、コンサートであった。その予兆は、当日の会場である伊東市観光会館の前に着いた時点ですでにあった。開場1時間前に会場の前にあった10mくらいの列が、開演30分前の開場時間には会場トグロを巻きにしていた。温泉地といえど12月の寒気の中に、聴衆の熱気がしっかりと感じ取れた。
会場は満員。その中ではじまったスッペの「詩人と農夫」は、演奏技量の良し悪しを超えてアマチュア・オーケストラの真摯さが心を打つ演奏であった。2曲目が、お目当ての「皇帝」。勿論、杉谷のスタインウエーは第一楽章から輝き、第二楽章のアダージョでは、精神的安寧と祈りの歌が聞かれた。この時の杉谷の横顔が、かつて見たことが無い浄化された表情に見えたのは僕の幻想だったのだろうか?
皇帝のあと、「エリーゼのために」が弾かれた。音楽好きなら一度は自分で奏でたことがあるこの易しい曲を、敢えてアンコールに選んだ杉谷の心意気や如何に!プロはこの平易な曲をこのように弾くのか!と、頭から水をかけられたような衝撃の体験であった。技術的に易しい易しくないとういうレヴェルを越えた音楽性の違いを、いやというほど痛感させられた
皇帝の全3楽章を通して伊豆フィルは力演だった。これには、指揮者の田久保裕一氏の尽力と実力が大きく寄与した結果であろう。とてもアマチュアの集団とは思えなかった。また、それは、休憩後のミヨーの「屋根の上の牛」で遺憾なく発揮された。まさか、こんなアヴァンギャルドな曲を、実演で「堪能」できるとは夢にも思わなかった。すべての調が長・短で総出演という、奇妙だがノスタルジックなこの曲を、伊豆フィルはあたかも通俗名曲の一つであるかのように演奏してしまった。聴衆は十分、この曲の魅力を感じ堪能したことであろう。最後のチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」で、演奏者も聴衆も心が天国に向かったところでこの演奏会は幕を閉じた。
東京の自宅に戻り、「わざわざ伊東まで行った価値があった?」と家人が聞いた。た。「うん、伊東でしか味わえぬ、伊東でこその、最高の演奏会だった。」と、僕は短く答えた。